その昔、一年を二十四節気。
さらに3つに分けた七十二候として移りゆく季節を表しました。
年中行事は、その変化に富んだ四季の中で育まれ、培われた日本の文化です。
年中行事:十一月(霜月・しもつき)
酉の市(とりのいち)
古くから日本の暦は年・日・時刻などに十二支を配当していて、毎日は「子の日」「丑の日」「寅の日」…という具合に繰り返します。 11月の酉の日には、各地の鷲(おおとり、大鳥)神社で祭礼が行われ、境内に市が立ち、熊手(くまで)、お多福のお面、宝船などの縁起ものや、栗などを売る露店が並びます。 暦の巡りで、11月の酉の日が2回ある年と、3回ある年があります。最初の酉の市から「一の酉」「二の酉」と呼び、古来「三の酉のある年は活気がありすぎて火事が多い」といわれてきました。 秋の収穫が終わると、翌年の耕作の下準備として熊手で落ち葉かきをしました。収穫を終えて一息つく頃の酉の市には、新穀とともに熊手や鍬(すき)などの農具が売られていました。おおとり神社の「鷲」はワシ、運をわしづかみにする縁起のよい神社。熊手は、福をかき込む縁起もの。これらが出世や商売繁盛につながるとして、いまでも参詣者で大にぎわいです。
・一の酉・・・ 11月8日
・二の酉・・・ 11月20日
鎮魂祭(みたましずめのまつり)
新嘗祭の前日に行われる「鎮魂祭」。鎮魂祭は、太陽の力が最も弱まる時期、太陽の復活と太陽神アマテラスの子孫であるとされている天皇の魂の力を高め、長寿を祈るために行われた儀式と言われています。日本が旧暦を用いていた時は、11月二度目の寅の日(中寅)、冬至の時期に行われていました。
新嘗祭(にいなめさい)
新嘗祭は、天皇が神々にその年の新米を捧げ、神々に自然の恵みに感謝をし、来年の豊作を願う大切な儀式です。由来は神話の時代へとさかのぼり、太陽神アマテラスが「豊かな稲作ができるように」と新嘗祭を行ったと古事記に記されています。日本が旧暦を用いていた時は、11月二度目の卯の日(中卯)に行われていました。