弥彦神社(新潟)/万葉の昔から「おやひこさま」の愛称で信仰

  • 2017年11月2日
  • 2019年1月9日
  • 神社
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私の一番大好きな神社『弥彦神社』のご紹介です。

information

神社名弥彦神社
ご祭神 天香山命(あめのかごやまのみこと)
住所 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2
神社HPhttp://www.oyahikosama100nen.com

御由緒

御祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。天照大御神の御曾孫で、神武天皇御東征に功績をたてられた後、越の國開拓の命をうけ、漁業・製塩・農耕・酒造等越後産業文化の礎を築かれました。神社創建年代は詳かではないが、社記によれば和銅(わどう)4年[711年]に神域を広げ社殿を造営、延喜式(えんぎしき)[927年]には名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。古くより民衆の篤い信仰を集めており、歴史ある大々神楽講や初穂講をはじめ多くの崇敬者により、連綿とその信仰心は受け継がれている。また現在の社殿は、明治の大火後、大正5年に再建されました。平成27年に御遷座(ごせんざ)百年を迎えました。

プチ情報

『おやひこさま』の愛称で親しまれている弥彦神社のご祭神は、天香山命(あめのかごやまのみこと)は、女性の神様という噂がささやかれていますが、男性の神様なんです。

弥彦神社へ行ってきました。

山頂にあるご神廟へ

弥彦神社に行ったら、ご神廟に行くことをおすすめします。
一番のおすすめは登拝(山を登る)ですが、ロープウエイもありますので、ご自身の体調やご予定に合わせていく方法を選んで下さい。

山頂に到着するとご神廟があります。

越後平野を一望する霊峰・弥彦山(標高634m)の御神廟は、山頂に祀られる弥彦神社の御祭神の御廟(奥宮)のことです。
御祭神である天香山命(あまのかごやまのみこと)は和銅4年(711年)に神武天皇より、越後地方の開拓の勅命を受け、日本海の荒海を船で渡られ、越の国の野積浜(現在の寺泊町野積地区)に上陸されました。
そこで早速、漁民に海水を焚いて塩を作ることや、網や釣針を用いて魚を獲る術を教えられ、さらに弥彦に宮居を定められてから、越後を平定し、さらに住民に稲作をはじめ諸産業の御指導をされたと伝えられています。
千年以上も昔から、弥彦神社は越後一宮として「おやひこさま」の敬称で親しまれています。
弥彦神社のご神廟は、弥彦山の山頂にあります。ロープウェイでもいけますが、登拝をおすすめします!弥彦山はスカイツリーの高さと一緒の634mです。(現地案内板より)

冬のご神廟

2018年1月2日
ロープウェイで9合目まで行き、そこから歩いて山頂のご神廟へ。山の麓が雪がなかったので油断していたら、一面アイスバン状態でした。冬にご神廟に行かれる時は、かなり滑りますので雪対策をして行かれることをおすすめします。

今年は雪が少なく、例年は鳥居の注連縄のあたりまで雪がらくるそうです。

弥彦神社にまつわる伝説

キコリの化石

彌彦の神は大和を出るとき、美しい妃を残してきました。女は足手まといになるという理由からです。しかし、一人残された妃は夫に会いたくて、ある日大和を出て越後に向かい、野積の近くまで来ました。(昔、寺泊地方を野積といいました。)これを人づてに聞いた彌彦の神は、もうしばらくすれば越後の平定が終わるのに、今来られては大変だ、と黙って山の中に隠れることにしました。
ところが、山へ登る途中で、一人のキコリに会いました。神は、どうせ妻は自分の後を追ってくるに違いないが、その時、キコリに自分のことを話されては困ると思い、
「私をたずねてくる女がいるだろうが、絶対に話してくれるな。もしも、約束を破ると、おまえを石にしてしまうぞ。」と言い渡して、山に登ったそうです。
妃がキコリに会ったのは、それから2・3日後。案の定、妃は神の行方を訪ねました。キコリは神の言葉を思い、話すのをためらっていましたが、目の前で哀願している妃の姿をみて、気の毒になり、つい行き先まで話してしまいました。
すると、妃の見ている前で、キコリはたちまち石になってしまいました。驚いた妃は石に詫びましたが、石は元に戻りませんでした。妃は自分の仕打ちを悔い、恋しい夫に会うのをあきらめて、そこに草庵を建て、一生、石になったキコリの霊を慰めて暮らしました。この石は、今も妻戸神社の一隅に置かれているといわれています。

安麻背(あまぜ)

神代の昔、彌彦大神が越後開拓のため野積に上陸した当時のことです。弥彦山裏側にあたる日本海に面した海浜一帯に、安麻背と名乗る凶賊が、たくさんの部下を従え、近隣を荒らし回り、多勢の婦女を略奪して善良な住民から恐れられていました。
安麻背は身長が1丈6尺余り(約4.8メートル)もあり、海中に飛び込んで素手で大魚をつかみ取り、けものを素手で打ち殺すほど力が強かったそうです。住民たちの話で、手ごわい相手と感じた彌彦大神は、部下と相談し、一計を立てました。
安麻背は浜辺の岩屋で大勢の手下を相手に酒盛りの最中でありました。彌彦大神は、「大和朝廷より越の国の王である貴方に賜るために、特に鍛えた剣である。刃の鋭さは大岩を断ち割り、荒波をも二つに分かつほどすばらしい。また、酒は、特に醸した天下一の美酒。多いに飲んで賞味されたい。」と、一振りの美しい長剣と香り高い酒を安麻背に手渡しました。
よろこんだ安麻背は、さっそく自分の腰に付けていた山刀と取り替え、彌彦大神の一行を座に迎えて、贈られた美酒で乾杯しました。宴もたけなわとなり、ころあいをよしとみた彌彦大神は、「これから浜辺に出て、差し上げた剣で貴方のすばらしい腕前のほどを見せてほしい。」ともちかけました。酔いも回り、上機嫌の安麻背は、求めに応じて外に出て、自分の腕前を見せようと、腰の長剣を引き抜くと、波打ち際の大岩にハッシと振り下ろしました。
ところが、折れないと思っていた剣は、根元から折れ。。。計られたと安麻背が気付いたときは、すでに遅かったのです。彌彦大神に胸元に剣を付きつけられ、縄でしばりあげられてしまいました。
しかし、彌彦大神はその後、捕らえた安麻背をよく諭し彼も改心を誓いました。以後、安麻背は彌彦大神の家臣となり、浜の開発と漁業の振興に励み、大いに栄えたといいます。
安麻背のものがたりは、現在の間瀬浜開拓の由来ともいわれています。

彌彦大神の雷退治(やひこおおかみのかみなりたいじ)

大昔、彌彦の大神様がある夏の一日、米水浦(野積の浜)で、里人たちに一生懸命塩を作る方法を教えていました。一日がかりの作業で、夕方にはたくさんの塩ができあがり皆が大喜びの最中、突如として雷鳴が轟き、一天にわかにかき曇って、夕立がザーッと降り始めました。みるみるうちに、せっかくできあがったたくさんの塩をすっかり雨で流されてしまいました。
彌彦大神様は大層お怒りになり、さっそく天に呼びかけて雷どもを集め、厳重に戒められたので、恐れ入った雷連中は、
「申し訳ありません。今日以後は、絶対にこの地方では雷を鳴らさず、夕立も降らしませんから、どうぞお許し願います。」
とお詫びして固く誓約したとのことです。このような理由で、弥彦山には夕立も降らず、雷も鳴らないと言われています。彌彦大神の雷退治にはもう一つ伝説があります。
彌彦大神様が、ある夏の夕方、弥彦山中を巡視されている時に、にわかに雷鳴が轟き、夕立が降ってきました。驚いた大神様は、雨宿りをされるために山道を走っている途中、道ばたのウドの鋭い新芽に目をつつかれてしまいました。
大神様は、さっそく、雷とウドに厳重に注意したので、恐れ入った雷は、
「以後は絶対に弥彦山の上で雷を鳴らさず、夕立を降らしません。」
と誓い、ウドは、
「これからは弥彦山には絶対に繁殖しません。」
と誓ったといわれます。
現在でも弥彦山でウドをみることは珍しいです。
この彌彦大神様の雷退治の伝説に由縁して、昔はこの地方の民衆の間に、
「彌彦様は雷除けの神様である。」
との信仰があり、そのお守りとして御神札をいただいていく風習があったといわれます。
今はこの地方では、このような信仰は聞きませんが、遠く離れた群馬県・茨城県・埼玉県などの地方で、「越後一之宮お彌彦様雷除け」の信仰があり、彌彦神社の御神札をいただく風習がなお残っているといいます。
昔は、関東一円に毒消し売りに出かける売り子さんたちが、信仰者から依頼されて彌彦神社の御神札をいただいて、年に一回届けてやったという話も語り伝えられています。

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