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マッサージとは。Osho「Hammer On The Rock」

  • 2018年12月11日
  • 2018年12月11日
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『マッサージとは学び始めることは出来るが、決して学び終えることのない何かだ。
それは、何処までも続いていく………
経験は深まり、高まり続けていく。

それは、最も繊細なアート………技術の一つだ。
テクニックの成熟度が問題なのではない。それ以上に愛が問われる。

まずテクニックを学んでごらん。
学び終えたなら、テクニックを忘れ去ってしまいなさい。
そして、ただ感じ、感じるままに動いてごらん。

マッサージを深く学んでいけば、その90%のワークは、愛によって為され、10%はテクニックによって為される。
ただ触れること、愛を込めて触れることで、身体の中の何かがくつろぐ。

その人を愛し、慈悲を感じるならば………
相手の究極の価値を感じるのなら………

その人を正さなくてはならない機械のように扱うのではなく、とてつもなく価値のあるエネルギーとして扱うならば………

その人があなたを信頼してくれ、自身のエネルギーと戯れるのを許してくれたことに感謝の念を覚えるならば………

あなたは、次第にオルガンを奏でているかのように、感じられるようになる。

その人の身体全体がオルガンの鍵盤となり、その身体の中にハーモニーが築かれていくのを、あなたは感じるだろう。

そして、その人ばかりが癒されるのではない。

………あなたも、また癒されるのだ。

マッサージは、この世に必要とされている。
というのも、この世から愛が消えてしまったからだ。かつては愛する人が、触れるだけで充分だった。

母親は子供に触れ、その身体と戯れた、それはマッサージだった。
夫は妻の身体と戯れた、それはマッサージだった。
それだけで充分以上だった。そこには、心からのくつろぎと愛があった。

しかしこうしたものは、この世から消えてしまった。
次第に何処に触れたら良いのか、どう触れたら、どのくらいの強さで触れたら良いのか………
人は忘れてしまった。

事実、触れることは、最も忘れられてしまった<言語>の一つだ。触れることは、ぎこちないものになってしまった。
何故なら、いわゆる宗教家によって、正にその言葉自体が汚されてしまったからだ。
彼らは「触れる」という言葉に、性的な色合いをもたせた。その言葉は性的なものになってしまった。

こうして、人々は<触れられること>を恐れるようになった。誰もが許可することなしに、誰からも触れられることのないように、注意している。

そして今や西洋では、これと対極をなすものごとが起きている。「触れること」やマッサージが、セックスそのものになってしまったのだ。

今やマッサージは、セックスを覆う単なる表紙、包みになってしまった。だが、実際には「触れること」やマッサージは性的なものなどではない。

それは愛の機能だ。

愛がその高みから落ちてしまえば、それはセックスになり醜悪なものになってしまう。だからこそ、祈りに満ちていなければならないのだ。

人の身体に触れる時には、あたかも神その人自身が目の前に横たわっていて、あなたは神に仕えているかのように、祈りに満ちていなければならない。

全てのエネルギーと共に流れてごらん。

そして身体が流れ、漂い、エネルギーが新たなハーモニーを築くのを目の当たりにすれば、今までに感じたこともない程の喜びが感じられるだろう………

あなたは、深い瞑想の内へ落ちていく。

マッサージをしている時は、マッサージだけすること。
………他のことを考えてはいけない、それは邪魔になる。

指や手の内に、あなたの全存在、魂が存在するかのように「ありなさい」。

マッサージを単なる身体に「触れること」にしては駄目だ。魂の全てが相手の身体の中に入り、貫くことで、深奥の「もつれ」が解放されるのだ。

そして何より「遊ぶ」ようにして行うことだ。仕事にしては駄目だ、ゲームのように楽しんでするのだ。

笑ってごらん、そして相手も笑わせてごらん。

Osho「Hammer On The Rock」より抜粋

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