日本へ「香」の伝来はいつ?

  • 2020年4月11日
  • 2020年4月11日
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「香り」のことを学んでいた時、日本はいつ頃から「香り」を嗜むようになったんだろう?と、ふと気になりました。

日本の香りといえば「お香」。お香がいつ頃日本に伝わったのか調べてみました。

日本の文献で「香」のことが記載されているもので、一番古い文献は「日本書記」と言われています。

そこには、

「推古天皇三年(西暦595年)、乙卯の春、土佐の国の南の海に夜大なる光あり、また声あって雷の如し。三十ヶ日をへて、夏四月、淡路島の南の岸に着す。島の人、沈水(沈香)を知らず。薪にまじえて竈に焼く。太子使いをつかわせて、その木を献ぜしむ。その大きさ一囲、長さ八尺なり。その香気、薫ずることはなはだし」

と記載があります。

つまり、595年に聖徳太子の時代に淡路島に大木が漂着し、それを薪として火をつけたところ、なんとも言えない神秘的な香りがしたため、朝廷に献上したのが始まりで、その大木が白檀(サンダルウッド)だったといわれています。

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しかし、この日本書紀には「初めて」という言葉なく、聖徳太子死後に記された「聖徳太子伝暦」には、この淡路島香木漂着の続きが記されていて、

「太子見て大いに喜び、奏していう。これ沈水香となすものなり。又の名を栴檀香木という。南天竺国の南の岸に生ず。夏月諸蛇この木をめぐる。木の性、冷たがる故なり。人、矢をもってこれを射る。冬月蛇かくる。すなわち折ってこれを取る。その実鶏舌なり。その花は丁香、その脂は薫陸なり。水に沈んで久しきものを沈香となし、久しからざるものを桟香とする。今、陛下釈教を興隆し、仏像を肇造す。故に釈梵その徳を感じ、この木を漂流せしむ。すなわち百済の工人に勅命して檀像を刻像し、高さ数尺の観音の菩薩を作り、吉野の比蘇寺に安置す。時々光を放つ。」

とあります。

つまり、聖徳太子は淡路島の香木が漂着した時、すでに白檀のことを知っていて、しかもインドの南岸に生ずる木だということも知っていたんです。

聖徳太子は、淡路島の漂着する前から白檀のことを知っていた。
聖徳太子は、なぜ白檀のことを知っていたのか?

それは、日本の「香」の伝来のもう一つの説。
仏教とともに日本に伝来したということです。

香りは、古代から神への儀式や祈りと深い関わりを持っています。

木を燃やすことで、その樹脂がときにすばらしい芳香をもたらすことを知りました。そして、同時に火は危険で恐ろしいものであり、神に通ずるものでもありました。煙は火から生まれ、そして天に還っていきます。煙は人々の祈りを天に運ぶ使者でもありました。人々は、香煙を神に捧げ、煙を通して神に祈りました。こうしたことから、仏教と香りも古代からセットだったと思います。インドで生まれた仏教が中国へ渡り、日本へと伝来した。その時に「香」も日本へと伝わってきたのではないか。私もこの説が一番有力ではないかと思います。

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